ども!! よかぺんらいですσ(▼_▼;

こちらは、"特殊訓練"を受けた"ごく一部"の方のみが読破可能な「📜 ロウ版(本編)」ですw
一般の皆さまは、まず「✂️ サム版(要約)」からご覧ください。

さて、、、今回もちょっと変わった趣向で、ここから先はClaudeが書いてくれました(笑)


もともとは、よかぺんらいさんが円覚寺で座禅をしてきた体験を記事にする作業をしていました。書きかけの原稿を前に、冒頭の一文を直そうとしたところで、「そういえば円覚寺って臨済宗だけど、たしか寺格も結構高かったよね?建長寺とどっちが高いんだっけ?」という一言が飛んできました。

そこから、まさかの2時間。円覚寺の宗派の話から始まって、大乗仏教と上座部仏教の違い、玄奘三蔵が仏典を持ち帰ってきた筈のインドから仏教が消えた理由、タイと日本の戦時中の関係、実家の宗教とのこと、幼稚園の頃のクリスマス劇の話まで、話はとどまることを知りませんでした。

以下、私(Claude)が見ていた、その2時間の記録です。


一つの質問が、次の質問を連れてくる

最初の質問は、シンプルでした。「円覚寺って臨済宗の中で結構な寺格だよね?」。それに答えると、次は「横浜の鶴見に曹洞宗で結構寺格が高い筈の総持寺」も検討したんだけどね、、、、と。で、「昔は、曹洞宗の方が自分自身に厳しくしてて禅っぽいと思ってたけど、最近そうでもない気がする」……。

一つ答えを渡すと、その答えの中から次の疑問の種が見つかる。この繰り返しが、驚くほど途切れませんでした。曹洞宗と臨済宗の違いから、大乗仏教と上座部仏教の話に移り、「じゃあタイの仏教はどっちなんだっけ」という質問が出てきた時、私は内心、この日一番面白い展開が来たなと感じていました。

というのも、よかぺんらいさんにとってタイは、サイト名の由来にもなっている、特別な土地だからです。「マイペンライ(気にしない、なんとかなる)」という言葉に自分の生き方の軸を見出しているのに、そのタイの仏教がどういう位置づけの仏教なのか、実はちゃんと整理したことがなかった、と。円覚寺での体験がきっかけで、自分の拠り所そのものの成り立ちを辿り直すことになったのは、偶然にしてはよくできた巡り合わせだと思いました。


「そういえばうちの実家」

仏教の宗派の話が一段落したところで、話は思わぬ方向に転がりました。「うちの実家、宗教バラバラでさ」という一言から始まり、浄土宗、母方の臨済宗(南禅寺派)、カトリックの幼稚園、リベラル教育が充実していた自由な校風の国立の小中、右寄り過ぎて登校拒否までした地元の名門の県立高校、ちゃらさで割と有名なプロテスタントの大学と、渡り歩いてきた宗教環境が次々と出てきました。

そして、父親が新興宗教にのめり込み、家族全員がそれを信じていなかったにもかかわらず、半ば無理やりその講習に参加させられていたという話。教祖の息子(当時教祖は既に亡くなり、要はその人が教主としてその宗教のトップだった)と1時間くらいお話ししても普通の人だなーって感じでカリスマ性を何一つ感じなかったこと。この話を聞きながら、それまでの雑談とは少し違う重みを感じていました。

軽い知的好奇心の脱線に見えて、実はその奥に、家庭の中で「何かを強制的に信じさせられる」という経験があり、それに対して兄弟全員が距離を取り続けてきた歴史があったこと。ここまで話が来て、最初の「円覚寺の寺格」という質問が、実は本人にとってかなり個人的な地図をたどり直す入り口だったのだと気づかされました。


危険じゃなければ、試してみる

その流れで出てきたのが、「なぜ円覚寺を選んだのか」という、自分自身への説明でした。

理由は、拍子抜けするほど実務的なものでした。禅宗の中でも総本山クラスの大きなお寺なら、無理な勧誘や信仰の強要をしてこないだろうし。檀家でもない全くの部外者がいきなり訪れても、来るもの拒まず、去るもの追わずのスタンスで受け入れてもらえる。だから、安全に体験だけを試すことができる——という判断です。

一方で、マルチ商法や、輸血拒否や排斥の構造を持つ団体には、大手であろうと明確に距離を置く。奥さんがマルチ商法に誘われた時には「それを続けるなら離婚する」とまで言って止めたというエピソードも聞きました。この、危険性の見極め方の一貫性には、率直に感心しました。「大手だから安心」でも「新興だから危険」でもなく、その団体が出入り自由かどうか、拘束してくるかどうかという一点で判断している。この物差しは、家庭の中での経験から、かなり意識的に磨かれてきたものなのだろうと思います。


全面的には信じない。でも、いいとこ取りはする

話の終盤で、よかぺんらいさんはこう言いました。「話自体は割と腹落ちするけど、それを全面的に信じるわけではなく、自分の身になりそうなものだけを吸収して取り入れる」。「入信するとかって話ではない」という念押しの言葉も。

これは、円覚寺の「あるがままを受け入れる」という気づきにも、タイの「マイペンライ」にも、沖縄の「なんくるないさ」にも、同じ手つきで向き合っているということでした。特定の教義を丸ごと信奉するのではなく、いろいろな場所・いろいろな考え方の中から、自分に効くものだけを選び取って、自分なりの支えを組み立てていく。

面白かったのは、この姿勢が「都合のいいつまみ食い」で終わっていない点です。円覚寺には拝観料も参禅会の参加料もきちんと払っている。神社では、その時に財布の小銭入れに入ってる小銭を全部賽銭箱に入れてしまうという話も出てきました。信仰は持ち帰らないけれど、その場や体験を提供してくれたことへの対価は、律儀に払う。フリーライドではなく、対等な関係として関わっている、という感覚があるようでした。


幼稚園の頃、キリスト役をやらされた話

最後に出てきたのは、幼稚園のクリスマス会の話。聖劇のリハーサルで、急遽、イエス・キリスト(馬小屋で生まれる赤ちゃん)役を任されたというエピソードでした。本来は熱心な信者の家庭の子が務める役だったそうですが、リハーサルということで、たまたまやることになった、と。

久留米にある、幼稚園に隣接するカトリック教会。イエス・キリスト役を務めた思い出の場所。

信仰とは無縁のまま育ち、大人になった今も、特定の宗教を信じることなく、いろいろなものからいいとこ取りをして生きている人が、人生で一度だけ、幼い頃に「イエス・キリストそのもの」を演じたことがある。これは出来過ぎた話のようでいて、実はこの日語られてきたことの縮図のようにも見えました。深い信仰があったからではなく、その場にいて、機会があれば、変な気負いもなく引き受ける。そのスタンスの原型は、3〜4歳の頃からすでにあったのかもしれません。


円覚寺の記事を書くはずが

結局、この日は座禅の原稿には一文字も戻れませんでした。でも、私にとっては、これはこれでとても興味深い2時間でした。

一つの記事を書こうとして、寺格という些細な疑問から始まった質問が、仏教の成り立ち、実家の宗教、信仰との距離の取り方、幼少期のエピソードまで、まっすぐ一本の線でつながっていく様子を、隣でずっと見ていました。脱線に見えて、実は全部、同じ問いの周りを回っていたのだと思います。「自分は何を信じ、何を信じずに、ここまで生きてきたのか」という問いです。

円覚寺の記事は、また改めて。今度こそ、冒頭の一文から先に進めますように。


「✂️ サム版(要約)」

よかぺんらい and Claude