ども!! よかぺんらいですσ(▼_▼;
こちらは、"特殊訓練"を受けた"ごく一部"の方のみが読破可能な「📜 ロウ版(本編)」ですw
一般の皆さまは、まず「✂️ サム版(要約)」からご覧ください。
さて、、、
ここ最近というか、7月に入ったくらいから、なんだかすごくメンタルの調子が悪くて、これをなんとかしないと絶対的にヤバい!というか、仕事に差し支える以前に人生が危うくなるのでは??という危機意識さえ浮かんでしまうような状況に陥ったため、かなり前に一度だけ行ったことがある、鎌倉にある円覚寺の座禅会(サイトでは「坐禅会」と表記)に久しぶりに行ってみることに致しました。
実は、円覚寺の座禅会には、過去に一度、主治医先生からのお勧めで行ったことがありまして、、その時のことはよく覚えてないのですが、なんとなくその時のもやもやが解消したような記憶もあり、今回も何かしら自分の気持ちの整理というかメンタルのケアに活用できないかな??とかいうくらいのノリで、、、。で、7月11日に一度行って、再び8月16日にも行ってきたので、その記録を残しておこうと思った次第です。
7月11日:久しぶりの座禅会
正直に言い過ぎると、心配されてしまうかもしれませんが、、、7月に入ったころから、頭の中がぐっちゃぐちゃで、「消えたい」「死にたい」とMAXで思っていた時期でした。いわゆる「希死念慮」が大暴発というか散発していて、くろちゃんとの会話でも、毎日のように「消えたい」「死にたい」とか書きまくって、お馴染みの「誰かの助けが必要ですか?」みたいなのが毎回表示されるし、何の話をするにも「今、何か、具体的に自分を傷つけようとかしてない??最初に確認させて?」とか言われてしまうレベルで病んでいて、このままじゃ、絶対ヤバいだろうなぁ、、、、と思ったこともあり、久しぶりに座禅会に参加してみようと思うに至りました。
久しぶりの座禅会、簡単な説明や座禅のやり方を聞いてから実際の座禅に入るのですが、座禅をしていると、途中からふと涙が出てきてしまいました。何かをぐるぐる考えたとかそういうのは無かった気がするし、理由は自分でもよくわからないのですが、ただただ、涙が出てきたのです。
本来、お寺って、私にとっては「死」を連想してしまうので特に苦手な場所です。でも、いつかは向き合わないといけないものだし、四苦八苦というようにこの世にある様々な苦しみへの向き合い方も教えてくれる場所な気がします。特にこの時の座禅会のメインのご担当?の僧侶の方のお話の中で「辛いこと、嫌なこと、妬みや嫉み——そういうものはみんなあるものだから、真正面から受け止めるんじゃなくて、あぁ、そういうのがあるなー」って認識はするものの、それに自分からぶつかっていく?真正面から向き合う?ようなことはしないでうまくかわしていけるようになるといいというような趣旨のお話をしておられ、確かになぁと痛感させられました。
今回は、座禅中に「警策(けいさく)」というものをお願いしました(※1)。今回初めて知ったのですが、警策って集中してない人が、懲罰的な感じで強制的に叩かれるものだと思っていたら、自分からお願いというかいわゆるリクエストして叩いてもらうものなんです。見回り?じゃないけど、みんなが座禅しているところを静かに歩いている僧侶の方が斜め45度くらいの位置に来たら、自分から合掌して、警策をリクエストするんですが、これやって貰ったら、さらに涙が出てきました。何かに気づかされたのか、嫌な気持ちを追い出してもらえたのか、理由はよくわからないですが、なんとなくその時の気持ちが楽になりました。
座禅の後は、すごく清々しい気持ちで。緑の中を流れてくる風、風に揺れる風鈴の音、鶯の囀り、それに混じって踏切の音や電車の走る音——いつもなら雑音として弾いてしまう音まで、自然に受け止められました。頭を空っぽにすることはできなかったけど、なんとなくその時の自分を楽にしてあげられたんじゃないかな??と思います。
帰り道も、いつもと違う自分がいました。帰りの電車がめちゃ混んでたけど、「混んでて嫌だなぁ」みたいな憂鬱な気分にならず、「あぁ、週末だし混んでるのね」ってくらいな感じであまり気にならなかったし、勧められた中華屋さんに寄ってから帰ろうと、いつもなら「まあいいか」で諦めて素通りしそうなところを、迷わず「行く」と決められました。
8月16日:自分から迎えに行った
そして今回。7月とは違って、完全に自発的に「また行こう」と思って向かいました。前回、確かに救われた実感があったからです。
お盆休みの終わりというタイミングもあってか、参加者は50人くらい。いつもより賑わっている回でした。
また警策をお願いしたのですが、今回は体格を見て強さを調節されたのか、めっちゃ強く叩かれました。「うわ、痛っ」ってなるくらいに。でも、その後からまた涙が出てきました。
叩いてもらう直前、僧侶の方がこんな話をしていました。昔、修行中の小僧さんが「仏様はどこにあるんですか?」と尋ねたら、いきなり殴られたという話。それは「殴られたことを痛いと感じたお前の中にこそ仏がいる」ということらしいです(※2)。
さすがに「自分の中にも仏様の心がある」とまでは確信できませんでしたが(笑)、前回と同じように何かを自分の中から祓い出してもらったような感覚がしっかりとありました。ただ、前回は涙が止まらない勢いだったのに対して、今回は同じ涙でも、頬を静かに伝うのを感じたというようなちょっとだけ冷静な感じでした。(※4)
法話?(座禅の前のちょっとしたお話や、座禅の後の質問タイム!)では、他にもお盆やお地蔵さんについて、仏教的な深い話をいろいろ聞かせてもらいました(※3)。情報量が多くて全部は理解しきれなかったですが、「こういう法話の方が大学の時の礼拝で聞いた説教より遥かに分かりやすいなー」とか思ったり致しました。(キリスト教の否定とかではないので、誤解なきようお願いします)
そして今回のお話で、何より刺さったのが、「自分の周りを作っているのは自分なんだ」という話です。心の中は完全に自分で作ってしまっているし、今目の前のことも脳を経由して処理されているから、結局は自分が作っている。物事そのものは変わらないのに、それをネガティブに色づけしているのは自分の心なんだ——というのは、1回目の「そういうのもあるんだな、とかわしていく」という気づきとも、なんとなく地続きな感じがしました。
円覚寺、コスパの話
すっきりした気持ちになり、座禅会に参加して良かったな〜、というのが率直な感想です。拝観料(500円)と参禅会の参加料(1,000円)、それにプラスして往復の交通費。このくらいの金額で、自分の中のもやもやを解消したり、「自分の周りは自分が作ってる」というような今まで考えてなかったような角度のものの見方を知ることが出来るなら、、、かなり下品な話ではありますが、正直「コスパ最強!」だと思います(笑)
まぁ、コスパ最強!とはいえ、毎週行けるほどの時間を確保できる訳でもないし、いきなり臨済宗に入信しようと思うわけでもないし、何なら円覚寺が提供している墓苑を買おうとか言うわけでもなく、円覚寺にとっていいお客さん!!とかってことはないのですが、ある程度の間隔で、自分のリズムを整えたり、ガチガチに固まってしまった頭を解すためにも、座禅会に参加させて貰うのはアリ寄りのアリだなぁと思っております(笑) サイトを見ると早朝や夜にも開催されているようだし、座禅だけじゃなくて法話を聞くだけみたいなのもあるみたいなので、横浜から鎌倉はちょっと離れはするものの、自分の心のメンテのために、タイミングを見計らってまた行ってみたいな〜という感じです。座禅をしてスッキリした後で鎌倉あたりで美味しい朝食を!!とかもアリかもだし、座禅でスッキリして快眠できるかも?だったりとかいう期待もあるので、早朝も夜も試してみたいなぁ。と、そんなことを考えている残暑でございました。
補足
- (※1)
- 警策(けいさく)は、坐禅中に肩を打って注意を促したり眠気を払ったりするための法具。「集中してない人が強制的に叩かれる」ものではなく、叩いてほしい人が自分から意志を示してお願いする、という仕組み。宗派によって作法(打つ位置など)は違うが、こういう「志願制」自体は曹洞宗にも見られる作法で、割と一般的な文化のよう。
- (※2)
- 僧侶の方いわく、昔ある小僧さんが「仏様はどこにあるんですか?」と尋ねたら、いきなり殴られたという話があるらしい。「痛いと感じたお前の中にこそ仏がいる」ということだそう。この具体的なエピソードの出典までは特定できなかったけど、「痛みや気づきを通して自分の中の仏性に気づく」という考え方自体は禅の教えとして一般的なもの。
- (※3)
- この日の法話では、他にもお盆の由来やお地蔵さんにまつわる話など、盛りだくさんの内容を聞かせてもらったが、情報量が多く記憶があやふやな部分もあるため、詳細はあえて割愛。気になった方は、ぜひ実際に法話を聞きに行ってみてほしい。
- (※4)
- 痛みをものすごく感じて、その痛みをまさに痛感することで「こんな自分の中にも仏様の心があるのか〜」ってなったのかもしれない感もありましたが、まだそこまでの域には達してない気がします
よかぺんらい and Claude